0014 / 鶴が台団地
2017.05.15 (MON)
また少し時間が空いてしまった。
今回カラーとモノクロ両方出そうと思って取り掛かって
GW前にはもう写真を編集し終わっていて
でも文章が書けなくてずっとずっと悩んでいて。
未だに悩んでいる。
モノクロ編集は今後も頻繁にすると思うので
この記事ではそこにあえて触れずにいこうと思う。逆に。
触れないけど、見た人が何かを感じてくれたらそれでいい。
今回はブログタイトルの話を。
ひたすらに団地の思い出にひたります。
ここは茅ヶ崎にある「 鶴が台団地 」
私が初めて"団地"というものを認識した場所。
なぜなら以前祖父母が住んでいたところだから、
っていう単純な。
母も幼少期〜ずっとここで育ったのである。
小さかった頃はどこを通っても同じ道に見えて
団地特有の規則的迷路から抜け出せずこわかった。
良いも悪いも本当にたくさんの思い出がある場所で
この団地の広場では
祖父にめちゃくちゃにしごかれた記憶が強め...
うっ...。
一輪車やローラースケートは、ここで出来るようになった。
キャッチボールも鬼のようにしたし、リレーの練習もした。
二重跳びも一心不乱に練習したし、
全部あげようとすると本当にキリがない。
自分で言うのもなんだけど、運動神経だけは抜群に良い私。
出来ると思ってることを怒られると
すぐに心が折れて諦める。
というかキレる。キレていた、あの頃は。
だけど泣こうが喚こうが逃げようが
祖父は解放してくれなくて
本当そのまんまの意味で朝から晩まで練習、練習、練習で
当時は地獄かと思った。
ただの遊びでなんでこんなに怒られにゃならんのだと。
あぁ、今思い返しても地獄であることは変わりなかった...
でも、祖父母は私が行く度に当時大流行していた
ポケモンカード(!)を買っておいてくれたり
ぬりえを準備しておいてくれたり
もちろん物ばかりでなく豪華なごはんだったり
ふかふかにしておいてくれた布団だったり
遊びに行くのを心からを楽しみにしてくれているんだなと
子供ながらに思ったのです。
母や祖母とふとんをならべてぐっすり眠り
目が覚めたら別室で眠る祖父を起こしに行き
みんなでごはん食べて、っていう何気ない記憶。
でもとてもしあわせな記憶。
だからかな
敷地内を歩いていて感じるのは
どんな季節であっても光があたたかいなぁということ。
気持ちの問題なのだろう
でも、
いつ行ってもあたたかく感じられる場所って多くはないし
例え今暮らしてなくとも私にとっては
これからも大切な場所。
鶴が台団地あらずして私あらずと言っても過言ではない。
大好きな祖父母が健在でいてくれるしあわせ。です。
今回カラーとモノクロ両方出そうと思って取り掛かって
GW前にはもう写真を編集し終わっていて
でも文章が書けなくてずっとずっと悩んでいて。
未だに悩んでいる。
モノクロ編集は今後も頻繁にすると思うので
この記事ではそこにあえて触れずにいこうと思う。逆に。
触れないけど、見た人が何かを感じてくれたらそれでいい。
今回はブログタイトルの話を。
ひたすらに団地の思い出にひたります。
ここは茅ヶ崎にある「 鶴が台団地 」
私が初めて"団地"というものを認識した場所。
なぜなら以前祖父母が住んでいたところだから、
っていう単純な。
母も幼少期〜ずっとここで育ったのである。
小さかった頃はどこを通っても同じ道に見えて
団地特有の規則的迷路から抜け出せずこわかった。
良いも悪いも本当にたくさんの思い出がある場所で
この団地の広場では
祖父にめちゃくちゃにしごかれた記憶が強め...
うっ...。
一輪車やローラースケートは、ここで出来るようになった。
キャッチボールも鬼のようにしたし、リレーの練習もした。
二重跳びも一心不乱に練習したし、
全部あげようとすると本当にキリがない。
自分で言うのもなんだけど、運動神経だけは抜群に良い私。
出来ると思ってることを怒られると
すぐに心が折れて諦める。
というかキレる。キレていた、あの頃は。
だけど泣こうが喚こうが逃げようが
祖父は解放してくれなくて
本当そのまんまの意味で朝から晩まで練習、練習、練習で
当時は地獄かと思った。
ただの遊びでなんでこんなに怒られにゃならんのだと。
あぁ、今思い返しても地獄であることは変わりなかった...
でも、祖父母は私が行く度に当時大流行していた
ポケモンカード(!)を買っておいてくれたり
ぬりえを準備しておいてくれたり
もちろん物ばかりでなく豪華なごはんだったり
ふかふかにしておいてくれた布団だったり
遊びに行くのを心からを楽しみにしてくれているんだなと
子供ながらに思ったのです。
母や祖母とふとんをならべてぐっすり眠り
目が覚めたら別室で眠る祖父を起こしに行き
みんなでごはん食べて、っていう何気ない記憶。
でもとてもしあわせな記憶。
だからかな
敷地内を歩いていて感じるのは
どんな季節であっても光があたたかいなぁということ。
気持ちの問題なのだろう
でも、
いつ行ってもあたたかく感じられる場所って多くはないし
例え今暮らしてなくとも私にとっては
これからも大切な場所。
鶴が台団地あらずして私あらずと言っても過言ではない。
大好きな祖父母が健在でいてくれるしあわせ。です。
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